上手く世代交代しないと。
第9話に入りました。
三国志の終わりが見えてきます。
残念な事が多く、今まで活躍していた人物が次々と
死んでいってしまいます。
今は、100年人生などと言われてますが
当時は50~60歳位が寿命だったようです。
悲しいですが、世代交代がどこの国でも起こります。
この世代交代を上手く、出来ないと国が消滅します。
世代交代は重要なんですね。
すぐ、後継者を育てないといけません。
関羽雲長の最後
関羽が一人で荊州(今で言う荊州市)を守っていた。
その後、北上し魏に侵攻、樊城(はんじょう)に攻め込む。
南の呉は、優秀な呂蒙(りょもう)が国堺に配置していたので
油断出来ないと、万全の対策をしていた。
呂蒙は病気になり、守りを当時無名の陸遜(りくそん)に交代し
陸遜は、関羽にへりくだった手紙を出した。
それを見た関羽は油断して、呉方面の備えを削って
魏方面に配置換えしてしまった。
それが全て、呂蒙の策略だった。
そして、呉軍に捕まり
息子の関平(かんぺい)と共に、処刑されてしまう。
ここで、軍神と言われた関羽が死んでしまう。
最後は、呉の将軍の孫権(そんけん)に
「殺すには惜しい。呉に仕えぬか?」と
何度も聞かれたが、関羽らしく口を開くこともしなかった。
相手が無名の、陸遜に変わり
油断してしまったのが、一番の原因だと思う。
生きていれば、まだまだ活躍していたと
思うと残念過ぎます。
曹操 死す 66歳
魏の王になった、曹操。
新たに宮殿を作るにあたり、良い材料を得るため
神木と言われた、梨の木を切ってしまいます。
そのせいなのか、その日の帰る時には
病気になってしまい、そのまま病で死んでしまいます。
曹操の死後は、長男の曹丕が
魏王になり、魏を治めます。
その死を聞いた劉備玄徳は
これまでの、曹操との戦いを思い出し
ライバルがいなくなった、寂しさから
部下に使いを送り、弔ったと言われております。
殺伐とした三国志の中で、敵を弔うとは
劉備の人徳をここでも感じられます。
しかし、もしかしたら次の魏をまとめる「曹丕」を見るためか
状況を見るための、スパイだったのかもしれません。
張飛も死んでしまう。55歳没
関羽が死んでから、そのカタキを取るため
なかなか呉に攻め込まない、劉備や自軍を見て
毎日酒に酔い、部下に乱暴をするようになってました。
やっと劉備が、攻め込むと言ったその晩
嬉しくなり酒を飲んで、寝込みを襲われ部下に裏切られ
殺されてしまいます。
その部下は、張飛の首を持って呉に下ったのです。
部下に乱暴をして、信頼をなくしていたから
反感を買い、裏切られてしまいました。
お酒で何度も失敗しているのに。。。
飲まないでいれば、関羽と並ぶ軍神とも呼ばれたのに。
最後は、戦場で終わって欲しかった
そこが残念でした。
劉備玄徳も逝ってしまう
桃園の誓いで義兄弟になった、関羽、張飛が死んでしまい
劉備玄徳は、心身共に厳しい状態になっていったと思います。
関羽のカタキを取るため、呉に攻め込みますが
陸遜の策略に、上手く翻弄され大敗します。
呉に攻め込む時は、諸葛亮孔明に留守を任せます。
孔明の兄 諸葛瑾が呉につかえている為
それを気にすること無く、呉と戦う為だと思います。
なので劉備の采配になり、陸遜に勝てなかったのです。
その大敗した後に、病で死んでしまいます。
漢中王になった劉備は、普通の人には想像出来ない
心身共に苦労があったと思います。
そこに、義兄弟の関羽と張飛が死に
心の支えが無くなって、焦って呉に攻め入ったのでは無いでしょうか。
その大敗も国の事を考えずに、自分の気持ちだけで
攻め入ったことが、失敗だったと言ってます。
その後、蜀は劉備の息子の劉禅が治めます。
あの、趙雲に助けられた阿斗がその人です。
関羽も張飛も生きていれば
劉備も無謀に、呉に攻め込むことはなかったでしょう。
そうなると、劉備も生きていて魏に攻め込み
滅ぼしていたのかも。。。。色々想像してしまいます。
諸葛亮孔明の時代
劉禅は、完全に諸葛亮孔明に頼りきりで
政治も軍事も全て、孔明に聞いて行ってました。
諸葛亮孔明は、劉備の意思を継ぎ
中華統一をしようと、南蛮を平定させます。
南蛮王「孟獲」と7度戦い、7度勝ち
7回生け捕りにしてやっと、心服して蜀に仕えさせます。
孔明は無敗で南蛮を、平定させました。
「諸葛亮孔明の時代」になっていきます。
ここからの主人公にもなり、蜀を動かしていきます。
次の最終話、第10話に続きます。