嫌われる勇気を再読して、まとめたくなり記事をかきました。読めば読むほどアドラー心理学が好きになってます(笑)
幸せになる勇気のまとめはこちら
Contents
アドラーとは
アルフレッド・アドラー
1870年2月7日 – 1937年5月28日(67歳没)
オーストリア出身
精神科医、心理学者、社会理論家
ジークムント・フロイトおよびカール・グスタフ・ユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立した1人。
アドラーはフロイトの共同研究者であり、1911年にはフロイトのグループとは完全に決別し、個人心理学(アドラー心理学)を創始した。
目次
- 第1夜 トラウマを否定する
- 第2夜 すべての悩みは対人関係
- 第3夜 他者の課題を切り捨てる
- 第4夜 世界の中心はどこにあるのか
- 第5夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
気付き・要約
第1夜 トラウマを否定する
トラウマを否定できる?
アドラーは原因論ではなく目的論を提唱してます。
例えば、子供頃の家庭環境がよくない状態だった人が、引きこもりになってしまった。とします。
原因論でいうと・・・過去の家庭環境のせいで、引きこもりになってしまった。過去に起こった出来事から、現状の原因を決めてます。
目的論でいうと・・・引きこもりになって、親からの愛情を受け取りたい。過去は関係なく、今自分がどうしたいか?の目的で現状を選択してます。
比べると全く違う内容になりますが、原因論で考えてしまうと過去に囚われて生きる事になってしまいます。
過去に囚われないで生きようという考えは、自分の変えられない過去を気にしなくて良いよと言ってくれて、生きるのを楽にしてくれて魅力を感じます。
しかし「トラウマを否定」というと、ちょっと抵抗があります。
それはPTSDと呼ばれる障害です。これもトラウマの一つになるかと思いますが、「否定しているの」一言で片付けるのは、ちょっと乱暴です。
PTSD(Post Traumatic Stress Disorder :心的外傷後ストレス障害)は、強烈なショック体験、強い精神的ストレスが、こころのダメージとなって、時間がたってからも、その経験に対して強い恐怖を感じるものです。震災などの自然災害、火事、事故、暴力や犯罪被害などが原因になるといわれています。
出典:厚生労働省ホームページ
最近だとアメリカン・スナイパーなど、PTSDを題材にして映画は多く存在して、ヒット映画にもなってます。私も最近読んだ小説「マチネの終わりに」でも描写されてます。
そんな映画や本を読んで、トラウマを否定すれば良いと言っても何かスッキリしなくて否定ではなく、乗り越えられるという方が、ピッタリすると思ってました。
それによってなにかが決定されるわけではない。
第一夜より引用
この引用がその回答に思えます。
トラウマには強く影響されるけど、決めつけられるモノではない。その経験はどのような意味を与えるか?を選べるのが自分の人生と続いてました。
ライフスタイルを選択
われわれは大きな”勇気”を試されます。
第一夜より引用
ライフスタイルとは、人生の思考や行動の傾向です。
何か目標が出来ても、すぐにやらなかったり、口だけで終わってしまうこと有りませんか?
私は有ります(笑)
この原因が「変わろうとする勇気」が足りないということだったのです。今の生活で自由な時間を無くしたり、趣味趣向をやらなくしたり、生活を変えるのは簡単ではありません。
これまでの自分を否定するということは、安心して生きてきた生活を捨てることになり、本能的に回避しようとしてしまうからです。
変わることで生まれる「不安」と、変わらないことでつきまとう「不満」。どちらにしても安心出来ないし、満足も出来ない。それならば勇気を出して、ライフスタイルを変える事を選択するしか無い。
と自分に言い聞かせてます(笑)
第2夜 すべての悩みは対人関係
第一夜から一週間後、若者はトラウマは存在すると確信を持って、哲人の部屋を訪れます。
全ての悩みは対人関係にある。
悩みを消し去るには、宇宙のなかにただひとりで生きるしかない
第二夜より引用
全ての悩みは対人関係にあります。この引用の様に宇宙で一人で生きていると思うと、何をしても良いし、良いことも悪いこともなくなります。本当に自分のやりたいことが出来るのかもしれません。
しかし続編の「幸せになる勇気」で書かれていましたが、全ての喜びも対人関係なのです。
更には他者貢献で、人は幸福になるとも書かれてます。つまり一人では幸福になれないのです。
ではどうするのか?
本文では、青年が自己嫌悪に陥っています。そして何の目的があって自分を嫌うのかと哲人に問います。
「自分を好きにならないでいよう」と決心しているからだと哲人は答えます。自分の欠点しか見ないようにして、対人関係の中で傷つくことを過剰に恐れていたからでした。
対人関係では必ず多少の傷を受けてしまうし、実はあなたも知らない間に他者を、傷つけているかも知れません。しかし恐れずに「勇気」を持って人間関係に一歩踏み出すしか有りません。
他者から傷つかれないようにすることを目的にして、対人関係を築かないのは人生の嘘です。ありのままの自分で価値が有ると受け入れ認めて、どう思われようとも、どのような結果になろうとも一歩進むしか無いのです。
劣等感と劣等コンプレックス
劣等感とコンプレックスは違います。
劣等感・・・自分で自分の価値判断をして、例えば「自分には価値がない」とか「自分の価値はこの程度だ」と思い込む感覚です。
劣等コンプレックス・・・劣等感を振りかざし、何もしないうちから自分を諦めてしまうことです。
「劣等感」は主観的な解釈でしかなく、客観的な事実ではない。
第二夜より引用
誰しもが自分で決めて、自分で劣等感を作り出しているのですが、劣等感自体は良い効果も生み出します。
それが「優越性の欲求」です。これは、人は生まれて来た時は無力で、無力な状態から脱したいと欲求することです。この欲求は成長や努力の糧になっていくのです。
「勉強ができない」という劣等感を感じたら、勉強して出来るようになろうと思ったり、他人の何倍モノ努力をして学年でトップの成績を取ってやる!と思えることは望ましい話になります。
理想の自分と比べて生まれる劣等感は健全です。
それとは逆に、劣等感をネガティブに捉えてしまうと「劣等感コンプレックス」になってしまいます。
ウチの夫婦間では「どうせ」という言葉を禁止にしてますが、劣等コンプレックスの状態ではこの言葉が出ます。そしてこの言葉の後には、ネガティブな言葉しか出ません。「どうせ無理だ」「どうせ自分なんて」聞いてて悲しくなりますね(笑)禁止にするのオススメです。
つまり、不幸を武器に使い一歩踏み出す勇気を無くし、諦めてしまう人の事を言います。不幸を使っている限り幸せになれません。
更に「優越コンプレックス」という言葉が出てきます。
劣等コンプレックスに陥った人が次に陥る状態です。劣等感を感じて努力する勇気も無ければ、そんな自分を受け入れる事も出来ない。その重さに耐えられなくなり、自分が優れているかのように振る舞い始めます。
○○さえなければ自分は有能で価値があると「偽りの優越感」に浸ってしまうのです。
権威のある人に繋がろうとしたり、自分の手柄や過去の栄光を誇示して、他者に認めさせて自分を他よりも優れていると、偽りの優越感を演出してしまう状態です。
劣等コンプレックスから優越コンプレックスに繋がり、このどちらも結局、他者の価値観に生きてしまい、他者の人生を生きる事になってしまいます。
わざわざ言葉にして自慢をしている人は、自分に自信が無いということになります。そう思うと自慢をすることが出来なくなりますね(笑)気を付けましょう。
第3夜 他者の課題を切り捨てる
課題の分離
自分の課題と他者の課題を分離していく必要がある。
勉強するのは子供の課題
第三夜より引用
私も息子が幼い時に「宿題やった?」とか「勉強してからね」等など、散々子供の課題に口を出していました。息子は従ってくれてましたが、自らの心からの行動では無く言われたから、怒られたくないから、宿題を嫌々やっただけです。
このままの関係が続くと、毎日「宿題やった?」と言わなくてはなりません。そしていつか「うるせーな、今やるよ!」と衝突することになります。
息子からすると宿題をやるのが嫌なのでは無く、親の言いなりになっている自分に対しても嫌気が刺してきます。ご自分の幼い頃を思い出すと、いつも言われていた記憶がありませんか?私はあります(笑)
勉強する我が子を持つ親に見られたいと、親が世間体を気にして言う場合もあります。子供のために言っていると口では言っても、自分の為に言っていると私は感じた事がありました。
「自分の人生を生きる」という考えから、子供には自分の人生があり、親を満足させるための人生ではありません。
それでは我が子を突き放し、放っておくのか?と思ってしまいましたが、それも違います(笑)
今度は逆に親の課題です。自分の子供を「信じて愛する」事です。突き放すのでは無く、常に並走していて、必要になればすぐ援助も出来るという状態にしておき、子供を尊敬して自立させるようにしましょう。
子供の課題に親が介入しては、自立するための勇気が挫かれ、困難に直面した時に乗り越えようとせず、避けようとしたり逃げようとしたり人に頼って生きてしまいます。
物事は常に誰の課題かを判断して、冷静に線引をしましょう。
嫌われる勇気
この本の題名になった部分です。一番伝えたい箇所ということになります。
要するに誰からも嫌われたくないのでしょう。
第三夜より引用
アドラーは他者からの承認欲求を否定しています。その理由はこの引用の通り、他者から嫌われ無いように、言われたらその方向に進み、視線を気にして、顔色を窺い生きてしまうからです。
承認欲求は、他者の望みを叶えれば満足出来るかもしれませんが、他者に言われたことをして、言われた目標に進んでも、自分の人生とは言えません。
嫌われる勇気を持つということは自己中心的になって、他者から嫌われろと言っている訳でもありません。むしろ他者の課題に介入することや、他者からの承認欲求ばかりを求めていることこそ、自己中心的となります。
親が子供に進路を強要したり、結婚相手にまで口を出したりして介入することは自己中的です。そして他者からの承認欲求を得ようとする行為は、自分をもっと良く見せて、特別だと思われたいと自分中心の考えだからです。
他者の課題に介入せず、承認欲求を求めず、自由に生きることが、この本の題名にもなった「嫌われる勇気」の意味です。
自由に生きた結果、他者から嫌われどう思われるかは、他者の課題なので自分からは介入しないし、気にしません。そうすることで自由を貫いた、生き方を手に入れましょう
第4夜 世界の中心はどこにあるのか
第三夜で言っていた「課題の分離」は、より良い対人関係を作る為のモノです。そして対人関係のスタート地点と書かれています。次は対人関係のゴールである「共同体感覚」に話が進みます。
共同体感覚
他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを共同体感覚といいます。
第四夜より引用
この本の中で何度も出てくる「共同体」ってなんだろうと?と思い調べて見ると、身近なモノでは家族になります。
共同体・・・家族や村落など、血縁や地縁に基づいて自然的に発生した閉鎖的な社会関係、または社会集団。協同体。
出典:goo辞書
アドラーは村や地域、学校や会社、国を超えて宇宙とまで、更には過去も未来も含めたすべてと言ってます。
本文で、それを聞いた若者が「いったい、なんの話をされているのです?」と言ってます(笑)確かに何の話かわからなくなりますね。その後の文を読むと、一番小さな共同体は家族になり、大きなモノは「無限大」と言ってました。
無限大という言葉も出てくると、より理解に苦しみますが、目に見えない繋がりも含めて共同体と言っていてます。例えば本を一冊買ったらそのお金が、本屋さんにも、配達した人にも、著者にも、印刷した人にも、その家族までに還元されている。その信用の繋がりも共同体になります。
お金の繋がりが対人関係の一番はじめの「仕事のタスク」で、信用の繋がりになります。自分の払ったお金が、他者の生活に還元され社会のシステムに貢献できていると思うと、自分の居場所を感じることが出来ると私は思います。これは生きているだけで、誰かの役に立って他者に貢献出来ているのです。これが目に見えない繋がりです。
更に気を付けないとならないのが目の前の共同体に縛られること。例えば学校を卒業したり、学校というシステムに馴染めなかったら、共同体には属さなくなるのか?と言えば答えは違います。家族、地域、国、地球と必ずあなたは共同体に属しています。
共同体には属していますが、世界の中心ではありません。「この人はわたしになにを与えてくれるのか?」ではなく、「わたしはこの人になにを与えられるか?」を考えなければならない。それが共同体への関わりです。
人間が2人いれば共同体になりますので、自己中心的な考えから、目の前の相手に対して「他者への関心」へライフスタイルを切り替えれる事が必要です。
横の関係
アドラーは褒めてはイケないと言ってます。その理由は横の関係ではなく、縦の関係を作ってしまうからです。それは自分に価値が有ると思う事にも繋がります。
横の関係に基づく援助のことを、アドラー心理学では「勇気づけ」と呼んでいます。
第四夜より引用
第三夜の「課題の分離」でも出てきましたが、他者を評価して叱ったり褒めることは縦の関係を築いてしまいます。アドラーはすべての人間関係を、「同じではないけど対等」という
横の関係にするよう提唱してます。
なので評価をせずに、対等を意識して常にそばで援助をする。ここで言う援助とは、本人に「自分は勉強が出来る」という自信を作り、自分の課題に勇気を持って立ち向かえるように働きかけることです。
この援助が「勇気づけ」と言われています。
相手を一人の人間として認め扱い、横の関係を築いていれば賞罰関係ではなくなり、「ありがとう」「助かった!」「嬉しい」といった、感謝や喜びの言葉が出てくるようになります。
朝ごはんを食べた子供が、お皿を洗ってくれたとすると「早く学校に行きなさい」というと、子供は勇気をくじく事になります。ここで「ありがとう」と言って上げれば、自分の価値を感じて、勇気を持って何かに挑戦して新しい一歩を踏み出すと思います。
次に親子関係では無く、会社組織の中で横の関係を考えると、同僚にも上司にも親友の様に振る舞いなさいと言っているのではなく、仕事上の責務の違いがあれど意識の上では対等です。より効率の良いやり方、方針に対しての異議などは主張しなくてはなりません。
主張した時に上司が嫌な顔をしたとしても、上司がどう思うかは上司の課題であって、自分には関係ありません。その主張が間違っていれば、修正して貰えるか教えてもらい、正しければ採用されます。自分の主張をするということが大切になります。
第5夜 「いま、ここ」を真剣に生きる
自分が幸せになるためには、全ての悩みである対人関係を「課題の分離」でスタートさせ、ゴールである「共同体感覚」を身につける事が大切です。
他者貢献
共同体感覚を身につけるには?次の3つが必要になります。
- 自己受容
- 他者信頼
- 他者貢献
一つづつ説明していきます。
自己受容
できもしないのに「私はできる」と暗示をかける様な「自己肯定」ではなく、ありのままの出来ていない自分を受け入れて、前向きに出来るように努力すること。
大切なのはありのままの自分に「何が与えられているか?」ではなく、「与えられたものをどう使うか」です。
他者信頼
なにも条件無く、他者を信じることです。条件付きで信じることは、銀行などが言う「信用」になります。
条件無く信じたら裏切られるのでは?と不安も感じますが、裏切るかどうかは相手の課題です。自分には関係ありません。
無条件で信じて貰えた他者は、その気持に反応して敵ではなく仲間になり、「ここにいてもいいんだ」という所属感が生まれるのです。
この他者信頼の勇気は自己受容から出てきます。
他者貢献
分かりやすく言うと、仲間の為に行う家事も含めた仕事です。
自分は「誰かの役に立っている」と思えたときにだけ、自らの価値を実感することができるのです。これは自分を犠牲にしてまで、誰かに尽くすことではなく、むしろ貢献して「わたし」の価値を実感するために行うのです。
「他者がわたしに何をしてくれるか」ではなく、「わたしが他者になにをできるか」を考え実践することによって、自分の共同体感覚が得られるのです。
他者を敵と思ってしまうと、時間の掛かる家事や大変な仕事をやっていると「なんで私だけ?」「なんで手伝わないんだ?」という発想になってしまいます。家族や仲間の為と思えば「ありがとう」を言われなくても、貢献できていると実感出来て、自己受容を強められるのです。
他者に対して行為ではなく、存在に感謝しましょう。
車の運転をしていて「他者貢献」を思い出すときがあります。
他者(他の車)を仲間だと思うと、対向してくるの右折車は譲ってあげたくなるし、脇から出てくる車も「どうぞどうぞ」と思います。ハザードなんかも付けてもらうと、嬉しくなります。
これが他者を敵だと思うと、お先にどうぞなんて絶対に譲れないし、遅い車にもイライラしてしまいます。
その結果自分の価値を上げていくのは前者です。後者ではイライラしたまま家に帰り、家族に八つ当たりすることも有ります。八つ当たりされた家族からは、仲間とは思って貰えず敵になり、あなたの為に家事をするという貢献をしてくれなくなってしまいます。
毎日のように車の運転をするならば、他者貢献の運転をすることで自己受容をして共同体感覚を身に着け、ドンドン幸せになりましょう。
人生
良く人生を山に例えますが、アドラーはそれを否定してました。頂上という目的地を目指してしまうと、ヘリコプターで行けばいいし、頂上に到着したあとは何も無くなってしまうからです。
踊っているのですから、その場にとどまることはありません。しかし、目的地は存在しないのです。
第5夜より引用
アドラーは人生を登山ではなく、ダンスに例えてました。目的地にいくことが目的じゃなく、踊ることが目的なのです。ステップを踏んでその場に留まることもなく、目的地はありません。
つまり登山は線で、ダンスは点なのです。
人生は「いま」という刹那の連続で、「いま、ここ」にしか生きていません。
過去のトラウマを気にして生きても、先の見えない未来を心配しても、今を真剣に生きられません。原因論を否定することによって過去を見ず、目的地を否定して未来予測も不可能とし、今を真剣に生きる以外になく、過去や未来を考えることを人生最大の嘘と断言してます。
アドラーは続けて言います「人生の意味は無い」。有るとすれば自分で決めて、自分自身に与えるものです。「他者に貢献する」という導きの星さえ見失わなければ、人生に迷うことは無く、なにをしても自由です。嫌われる人には嫌われ、自由に生きてかまわない。
まとめ
私は離婚をしてその直後、過去を見て孤独に悩まされ、未来を見て自分を悲観して数年間過ごしていました。前に進めず苦しんでいた記憶しかありません、この本の内容は当時の私に教えてあげたいモノばかりです。
そのせいもあって、私はこの「嫌われる勇気」と続編の「幸せになる勇気」が好きになったのだと思います。