前作の「嫌われる勇気」を読んでから、アドラー心理学が好きになり、この「幸せになる勇気」は、興味をもって楽しく読みました。
この内容をなんとか説明をしたいと思い、私なりの解釈と言葉で書きましたので読んでもらえたら幸いです。
アドラー心理学は、読むと心が軽くなる感覚が有ります。自分でも気が付かないところで、自分自身を追い詰めたり、無理をしていたのかもしれません。
前作が100万部突破したということは私だけじゃなく、その心が軽くなる感覚は多数の人が同じ様に感じたからだろうと思えます。
こちらは前作「嫌われる勇気」の要約記事です。
Contents
著者紹介
岸見一郎[キシミイチロウ]
哲学者。1956年京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の哲学(西洋古代哲学、特にプラトン哲学)と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。
古賀史健[コガフミタケ]
株式会社バトンズ代表。ライター。1973年福岡生まれ。書籍のライティング(聞き書きスタイルの執筆)を専門とし、ビジネス書やノンフィクションの分野で数多くのベストセラーを手掛ける。
このお二人による共著です。
幸せになる勇気 目次
- 第一部 悪いあの人、かわいそうなわたし
- 第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
- 第三部 競争原理から協力原理へ
- 第四部 与えよ、さらば与えられん
- 第五部 愛する人生を選べ
幸せになる勇気読書感想
今回も哲学者である「哲人」と学校の先生になった「若者」の会話形式で話は進みます。
第一部 悪いあの人、かわいそうなわたし
「幸せになる勇気」のテーマは「自立」です。
学校教育の目標も知識や教養を身に着け、最終的には子供たちが、自立出来るようになることが目的です。
自立に必要なのは「尊敬」。つまり教育とは子供たちが自らの課題へ立ち向かうために、必要な知識、勇気などを与える援助です。
教育は援助だったのです。
アドラーの尊敬とは?
才能ある人や有名人に対して抱く憧れに似た尊敬とは違います。
『もしも私が、この子供と同じ心と人生を持っていたら?』と考え、相手と同じ立場に立つ事により、相手に「共感」することが出来るようになります。
それを見た子供は、自分を子供扱いするのでは無く、一人の人間として向き合ってくれている、その動作に「尊敬」されていると感じるのです。
他社に共感して他者をありのままの姿を受け入れ、その人らしい成長を援助することが尊敬するということになります。
自分の小さい頃は尊敬されていたか?思い出してみると、勉強しなさい、ちゃんとしなさい、おとなしくしなさい、親から言われた数々の言葉が出てきます(笑)
これは皆さんも同じかもしれませんが、私の場合だと優秀な兄がいたので、この言葉の後には「お兄さんみたいに」が付いてました。
そんな言葉を浴びていると「勉強する勇気」も無くなり、遊ぶことばかり考え、奇跡を信じるようになってました。そしてペラペラな大人に(笑)
悪いあのひと、かわいそうな自分
本文の中で哲人がカウンセリングの事に触れます。
相談に来た方のカウンセリングを行うと、まずこの題名の様に悪いあの人の話と、私はかわいそうという話から始まるそうです。
われわれが語り合うべきは、まさにこの一点、「これからどうするか」なのです。
第一部より引用
この2つの話は過去の事です。しかし過去にどんな辛い事があっても、大事なのは「今」。過去は関係ありません。カウンセリングに来ても、もこれからどうしたいか?どうするのか?を話すことが大切になります。
更にアドラーの教えでは、過去に縛られません。というか過去は無いと言い切ってます。
それはアドラーの考え方が、過去に起こった出来事から今が有るという「原因論」ではなく、今後どうするかの目的に依って出来た今をつくる「目的論」だからです。
例えば過去にトラウマがあって、今を暗く生きる人がいる。トラウマのせいで自分は、暗い性格になってしまったという考えは人生のウソです。本当は他者と関わるのが面倒になり、他者と関わりたくないから、自分で暗い性格を選択しているのです。
「人間は、いつでも自己を決定できる存在である」
第一部より引用
人間はトラウマに翻弄されるほどヤワではない、自分の事を自分で決められるのです。
今を生きている自分の人生を、決めて生きているのは、「いま、ここ」を生きる自分なのです。
なので過去は無いと言い切っていたのですね。目の前の今を一生懸命に生きましょう。
第二部 なぜ「賞罰」を否定するのか
アドラーの考えでは、褒めることも、叱ることも否定してます。その理由をみていきましょう。
賞罰を否定
他者からの承認欲求ではなく、自分で自分を承認してあげる。それが自立。
第二部より引用
他者を褒めるということは「下の者を評価している」事になります。そこには上下関係が生まれ、評価される者どうしの競争も生まれます。
褒められた人は、もっと褒められたいと思い褒めた人が望む方向に進んでしまいます。これは他者の人生に介入する事になってしまいます。
褒められなかった者との間に競争が生まれ、褒めた人にもっと自分の評価してもらおうと、評価を任せてしまいます。
第一部で言っていた「自立」を目指すのに、他者に自分の評価を任せてしまうことは「依存」になってしまいます。
自立とは「自分の価値を自ら決定すること」であり、依存とは「自分の価値を他者に決めてもらうこと」になります。
自分の価値は相対的ではなくて、絶対的でなくてはいけません。
「私であることの勇気」を持ちましょう。
問題行動の5段階
他者から褒めて貰いたいという気持ちがあると、問題行動をしていきます。
その問題行動に段階があり、説明してました。ここにも他者を褒めることを否定する理由が有ります。
第1段階: 称賛の欲求
褒めてくれる人(親、先生、上司等)に対して、もっと褒めて貰いたいと思い「良い子」を演じる。誰からも褒められなくなったり、特別視されなくなると、一気にやる気を失ってしまいます。
段2段階: 注意喚起
「良い子」を演じても褒められなくなった時、特別な地位にいたいと思い、大声を出したり、いたずらをしたり目立とうとする。
第3段階: 権力争い
それまで褒めていた人に対し、汚い言葉を浴びせ罵倒してきます。周りの人に対しても、挑発し争い自分の力を誇示しようとします。
怒ったりして相手にしてはいけません。相手の思うツボです。
第4段階: 復習
第3段階までは「愛を乞う気持ち」でしたが、ここまで来ると裏返り「憎しみ」になってしまいます。嫌われるとわかっていながら、憎しみだけでも相手と繋がろうとします。もう手に追える相手では無くなってしまいます。
いわゆる「ストーカー」の状態です。
第5段階: 無能の証明
最終的な段階です。家庭や学校、会社に自分の居場所を見いだせない状態です。
この状態に時に、誰に何を言われようと「ほっといて欲しい」と思うようになり、周りからの期待にも無能であるから、答えられないと思ってしまいます。
その理由は「これ以上、傷つきたくない」からです。
簡単に書くと①まずは称賛を求め、②次に注目されたいと思い、③思い通りにいかないと権力争いを挑み、④それでも満足しないと悪質な復讐に転じる。⑤そして最終的には、己の無能さを誇示するようになります。
尊敬が足りなくて、上手く自立させることが出来ないと、次の目的を達成しようとしてしまいます。
『共同体のなかに特別な地位を確保すること』
第二部より引用
「自立」と逆方向で、特別でいたいという欲求に駆られ、問題行動に移ってしまいます。
自立が出来るように、まず尊敬していつでも援助が出来る状態であると、並走してあげましょう。
私も離婚後に一人で孤独感と虚無感を抱えていた時は、承認欲求の塊の様になり、色々出来るようになれば、他者から褒められるんだと勘違いをして、筋トレから手相、栽培、ブログ、ジョギング、料理と意欲的にやってました。
今も継続しているのはありますが、再婚して欲求が満たされたせいか、そこまで熱を上げてやってません。承認欲求だけを目指し無理をしてやってましたが、今現在は非常に楽な状態だと思います。
その経験があるので「特別な地位を確保する」という欲求は、理解出来る感覚です(笑)
第三部 競争原理から協力原理へ
「褒めること」を求めた人達が集まると、縦の関係が強くなり、より他者よりも褒められようと競争がおきます。
競争原理
こうして共同体は、褒章を目指した競争原理に支配されていくことになります。
第三部より引用
他者と競争してしまい、ライバルに勝つために不正を犯したり、仲間の足を引っ張ったりしても勝ちたいと思うようになってしまいます。
さらに競争原理に支配されると、勝者がより大きな富を得て、さらにはより多くの富を求め戦争の原因に繋がっていきます。
争いや戦争を無くす為に褒められなくても、自立することが大切なのです。
協力原理
では協力原理とは?
アドラー心理学が提唱する、横の関係です。誰とも競争をしない、勝ちも負けもない。他者と経験、知識、人種、才能、年齢などに違いがあっても、全ての人は対等であり、他者と協力することで作られる共同体(家族や集落など)。
人間は弱さゆえに共同体をつくり、協力関係の中に生きています。
第三部より引用
アドラーは、「競争」では無く「協力」の共同体を提唱してます。
人間は生まれた時には、一人では何も出来ない弱い状態です。他者の助けが無いと生きていけません。生きていくために共同体(家族や集落など)を作り、他者との協力関係の中で生きています。
そのため人間は、生まれながら常に他者との繋がりを求めます。
人間の根底には、協力関係の共同体感覚が存在していると言ってます。その感覚を呼び起こすためにも、第一部で出てきた「尊敬」が土台になります。
共同体感覚は身につけるの技術のようなモノではなく、誰しも生まれ持っているモノなので、呼び起こせると書いてありました。
目の前の他者を、変えようとも操作しようともしない。なにかの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。
第一部より引用
尊敬の1文です。他者を尊敬するには、まずは自分を認めることから始まります。
ありのままの自分を、普通である自分を認める勇気。そして他者にも同じ様に、そのままの人を認めましょう。
第四部 与えよ、さらば与えられん
前作「嫌われる勇気」では、「全ての悩みは人間関係の悩み」と書いて有りましたが、今作の「幸せになる勇気」では、その裏回答のような言葉、「すべての喜びもまた、対人関係の喜びである」と書かれています。
そうなのです!私達が幸福になるには、人間関係が必要なのです。勇気を持ってその人間関係に、立ち向かわなければなりません。
ではどの様に人間関係を構築していくか?それが人生のタスクで段階が有ります。
人生のタスク
人と人の関係を作る順番になる、人生のタスクです。
- 仕事のタスク・・一番初めの人間関係。仕事等における信用の繋がり。
- 交友のタスク・・強制力の無い、無条件の信頼の繋がり
- 愛のタスク・・恋愛や親子、家族といった一番深い関係。
仕事のタスクから読み進めると、仕事で知り合った人と、仲良くなり付き合い、最後は結婚するというイメージをしてしまいます(笑)
全ての人には当てはまりませんが、知り合った人との人間関係が①から③へ、移動していく様子が想像できて③に近づくと同時に、幸福度が上がっていくと感じられます。
我々は幸せになるために、このタスクに立ち向かい、信用され信頼され愛を獲得するのだと思います。
信用とは
担保や条件付きでその人を信用すること。信用金庫がお金を貸すのは、担保を信用している。
信頼とは
担保も条件も無く、無条件でその人を信頼している。
分業
人生のタスクの一番始めが、何故「仕事のタスク」なのか?そこには深い理由がありました。
人間は「分業」という画期的な働き方によって、生物的な弱さを補い繁栄してきました。
第三部より引用
人間は一人で仕事を完結させることは出来ません。
例えば画家がいたとして、一人で部屋にこもって絵を描いてますが、筆を作る人、紙を作る人、それらを売る人、絵を買う人、配送する等など、色々な人に関わって「画家」という仕事が出来ています。
自分が得意で好きな仕事を、自分の仕事として分業し、その上でお互いが協力していく。誰も犠牲にならずに、お互いが生きていくために。
狩りをして生活していた時代から、狩りをする人、弓矢を作る人、料理する人など、分業という画期的な方法で、これまで繁栄してこれたのです。
そして仕事の種類に上下関係はありません。弁護士、左官、工場の作業者、家事専門の主婦、俳優、音楽家、色々な仕事がありますがどの職業もより幸せになるために、分業という方法をとり、皆で分けて行っているだけです。
第五部 愛する人生を選べ
人生のタスク最後の段階の「愛」です。愛を語るというと、抽象的で哲学な雰囲気と、ちょっと恥ずかしさを感じますが、アドラーの言う愛は、覚悟を持った行動として語られます。
愛とは
愛とは「ふたりで成し遂げる課題」
第五部から引用
これまでの本文に書かれ、この記事にも書きましたが「交友の関係」を成立させるには『あなたの幸せ』を願います。
相手に対して、条件など無く無条件の信頼を寄せて、一方的でもひたすら信じ、ひたすら与える利他的な態度から交友の関係は成立します。
そして分業の話では、根底にあるのは『わたしの幸せ』で利己的でした。共同体の中で仕事をして貢献することで、自分が満たされ幸せになると、結果として誰かの幸せに繋がっていきます。
お互いが分けられた仕事を、頑張ることで自分から幸せになっていくという、分業の関係が成立します。
この交友関係の「あなたの幸せ」と、分業での「わたしの幸せ」から、愛では「私たちの幸せ」に変わります。
自分の幸せだけを優先してはイケマセン。相手の幸せだけを願っても駄目です。常に私たちの幸せを考え行動をするのです。
これがアドラーの言う「共同体感覚」の一部になり、自己中心的な考えから脱却することになります。
結婚して「私たち」の幸せを考え出すところが、愛のスタートなのです。
運命の人を否定
アドラーは運命の人を否定しています。
運命とは、自らの手でつくり上げるものなのです。
第五部より引用
運命の人が現れたら結婚しようと思いがちですが、待っているだけでは誰も現れませんし何も起きません。
そのような運命は無くて、パートナーと共に歩んだきた歳月を振り返った時に、運命と思う瞬間があるのだと言ってます。
それは偶然に天から神様が与えてくれた時間ではなく、二人の努力で築き上げたモノなのです。
誰かを愛するということはたんなる激しい感情ではない。それは決意であり、決断であり、約束である(フロム)
愛は一時の気持ちとか感情ではなく、決意なのです。
この人と生活をして幸せになると、決めることです。
私も数年前に再婚出来ましたが、それまでに趣味を探して自分を磨いたり、婚活パーティーに頻繁に通ったり、少しでも可能性があればそちらに動くという心境でいました。
その努力があって、今の妻に出会え再婚出来たのだと思えます。待ってるだけじゃくて良かった(笑)
そして再婚して二度目のスタートになりましたので「私たちの幸せ」を常に考えて、より成長した愛にしていきます。
幸せになる勇気
あなたは幸せになりたかったのではなく、楽になりたかったのです。
第五部より引用
若者が哲人に質問をされてました。「人を愛したことはありますか?」
若者の回答を聞き哲人が語りました。その話の中で哲人は言います「あなたは幸せになりたかったのでは無く、楽をしたかっただけなのです。」
私の離婚の原因の一つに「楽」を求めた事だと思っていたので、心に刺さりました。当時は自分のことしか考えて無く、「私たち」という感覚は全くありませんでした。
アドラーの言葉を借りると、僅かな勇気しかもってなくて「幸せになる勇気」が無かったのです。
「幸せになる勇気」とは、他者を愛する勇気であり、自立する勇気でもあります。そして最終的には、それまで自己中心的な考えで、自分の幸せを考えてきたライフスタイルを捨てる勇気になります。
私を捨てて「私たち」になる決断をして、自立して大人になるのです。
まとめ
家に帰って、家族を大切にしてあげてください
第五部より引用
これはマザー・テレサの言葉で「世界を平和にするには?」の回答です。
共同体である世界を愛せよ、と言われてもピンと来ませんが、まずは目の前にいる家族(一番小さな共同体)を愛することから始めれば良いと言われると、やるべき事が分かります。
日々の生活の中でも、目の前にいる人に感謝を忘れず、思うだけじゃなく伝える。家族の次は友達、そして会社の同僚へと広げていきます。
そして最後にこの言葉が印象的でした。
『最良の別れ』に向けた不断の努力を傾ける。それだけです
第五部より引用
これまで説明してきた、対人関係の中で我々の出来ることは何か?
人生の時間は有限だから、人と人は必ず別れがきます。その時に喧嘩別れしてたり、ありがとう言いそびれたりしては、気になって幸せになりにくくなってしまいます。
常に最良の別れを意識するだけで、周りの人との対人関係が良くなっていくことが想像出来ます。
勇気を持って何でもない日々を一歩一歩、歩みを進めたいと思います。
アドラー心理学をもっと知りたい、勉強したいと思い再読すると、まだまだ書き足りない部分が出てきます。その考えがまとまり次第リライトをして追加していきたいと思います。
最後までお読み頂き、有難うございました。