離婚ショック回復術

若く馬鹿な自分が大事な将来を決める

別れ話をするカップル
やっと二個目の記事を書ける!

初投稿は、何を書こうか悩み

走り出してしまえば、スラスラ続けられると思いきや

久々に文章を書くと、走る事なんて!

歩くことすら難しいのに(笑)

 

二個目の記事は、自分の紹介の意味を込め、過去を思い出して

ブログの題名にも入ってます「婿養子」この時のお話を。。。

 

若く馬鹿な自分が大事な将来を決める

当時、19歳位から付き合ってた彼女。

二つ年上で、何も出来ない自分を常にリード。

 

彼女の実家は千葉県で、私の家は神奈川県、二人がいたのも神奈川県。

そして一年位経った頃、長女で後継ぎがいないから、結婚は出来ないと言われる。

婿養子に来てと言わず、結婚は出来ないという言い方。

無理矢理にでも来て欲しいと、熱を上げて言われていたら

違う結果になっていたかもしれないけど

今思えばズルイ様な(笑)

 

そして当時の私は、若く馬鹿でペラペラな人間だった。

そんな自分が、自分の将来を決断しなきゃいけない!

信念も、深く考える事も、周りへの感謝も何もない自分。

すごい事を決めなきゃいけない事にも気が付いてなかったと思う。

二つ返事で婿養子になる事を伝えた。(笑)

 

彼女を好きだったのはもちろんだけど、決断した理由は

ラクそうとか、周りと違うことが出来ると思っていた。

自分の実家が狭くて、そのうち出ていくなら変わらんだろうと考えていた。

初めて実家にお邪魔する時

当時フリーターだった私に、卒業した専門学校を通じて池袋の会社から

「面接にこないか」とありがたいお誘いを受けていた。

もう会社名も忘れてしまいましたが、本当ありがとうございました。

 

将来的に千葉からでも通えるかな?と思いながら向かうと

外房の海まで20分位の場所で、夏は観光地だった!

少し歩くと田んぼに囲まれた田舎道。

池袋駅まで電車で2時間30分は掛かる!これはキツイ(笑)

田舎の風景

家に着くと派手なお出迎えがあると思いきや。。。

お爺さんとお婆さんがいて軽く挨拶。

父親はいなくて、母親しかいないと聞いていたが、不在だった(笑)

 

今思えば、ここで先行き不安を感じるはずだが

ペラペラな@aggaikaiは、母親に挨拶という目の前の不安が無くなった事に

安堵の笑み(笑)馬鹿だったなー。これが離婚に繋がる事柄の一つなのに。

 

そんな状況から、池袋の会社は丁寧に辞退する旨を連絡して

帰る時は、その田舎っぷりに落胆していた(笑)

そして、結婚して婿養子に向けて動き始めます。

 

ABOUT ME
アガイ
20代に婿養子になり、息子が出来てから離婚を致しました。 離婚ショックから回復した時の経験を書き 過去の私と同じ様に辛い思いをしている人を 少しでも楽にしたいです。